我ら、王の死を知らず 2
02
アンチスパイラルのメッセンジャーとして覚醒してしまった女性の末路は、悲劇と呼ばれてもけしておかしくはないだろうし、いずれそう語られることになるだろうとヴィラルは思った。
砂糖菓子のような衣装と共に消え去った、かつてヴィラルが姫と呼んだ彼女がどれほど幸福だったとしても否応もなく。
幸福の絶頂と呼ばれるその式の最中で消えることを誰も由としないのは、彼女が遺した人間があるからだった。
それも最愛の。
「シモン」
式場から立ち去ったシモンを追いかける者は居なかった。似合わないと散々小突き回された白いタキシードを着崩して、その上に鮮やかなマント。ヴィラルにも因縁を遺すそれをはためかせながら振り返った彼の顔は、今では滅多に浮かべることのない幼いときのような、気弱なものだったからヴィラルはそれ以上の言葉を投げかけることを途惑った。
肩にかけたそのマントも相まって、空色の髪と紅い瞳の男が傍らに居るような錯覚を受ける。
「俺は行くけどお前は残れよ?」
「なんだそれは」
ヴィラルの無言を良いことに、押し付けられた言葉に反発するのはあたり前のことだろう。
「厄介ごとはすべて押し付けていくつもりか」
そういえばコアドリルも赤毛の若造に渡していた。ラガンを置いて行くのだから、ヴィラルが同行する理由も確かにない。
シモンがこの場所から去ることはきっと悪いことではないはずだとわかっていてもヴィラルはそう告げることにした。彼の選択は悪くはないだけでけして最上ではないからだ。そう考えると、ヴィラルの言葉も間違いではない。そしてシモンはヴィラルの言葉を否定しなかった。かわりに、やはり子供みたいな無邪気な顔で笑うだけだ。
「信じなくてもいいけどヴィラル、俺はお前がちゃんと好きだよ」
「馬鹿げたことをいうな」
たった今他の人間に(それもヴィラルの主筋の姫に)永遠を誓った身で何を言うかと一刀両断にするのもやはり当然だ。
「これだから裸ザルは節操がないと言うんだ。ああ、それ位の多情でなければこれほど短期間で地上に人を満たすことは出来なかったか」
「っはは!痛いところをつくなぁ、ヴィラルは。それはお前から見れば確かに人間は節操なしかもしれないけど」
真面目に取るのは馬鹿らしいと、かなりのきわどいラインでの皮肉を返すのだが、返された当人であるシモンは髪を揺らして笑うだけで一向に堪えた様子はなかった。終いには目尻に涙さえ滲ませている。
(…お前がそんなことを言って誤魔化すことほど滑稽なことがあるだろうか)
多情、とヴィラルはシモンの属する種族を揶揄したが、そこにこの男が当てはまるかと言われれば、否と答える。
ふわりとフラワーシャワーの名残の花びらが、風に運ばれてシモンの肩に乗った。体から、流れ出したばかりのような濁り一つない紅い色。あのカミナの瞳と同じ色だと恐ろしいくらいに素直に思う。
風の悪戯にすぎないそれを、あの男の作為と思わずにはおられないほど、その陰を大事に抱えている男が何を言うのだろうか。花びらのような姫君にこの男が永遠を誓ったのは、姫君…ニアがカミナの存在を凌駕したのではなく、ニアがカミナごとシモンを抱え込んだからこそなのだと、周囲の何人が気がついているのだろう。全員が知っているのかもしれないしそうでないのかもしれない。だた、純然たる事実として、ヴィラルはそれを知っていた。
そのくせ、シモンはヴィラルのことを好きだなどと言う。事実を事実として認識しているヴィラルにとっては、それは嘘にしかならない言葉だ。不誠実としか取れない。
「そんな恐い顔しないでくれよ、嘘じゃないんだ」
「ふざけるのも大概にしろ」
ヴィラルの視線を受け止めて困ったようにシモンは笑う。
その顔すら癇に障るのだと眉を潜めるヴィラルにさらに苦笑を重ねながらシモンはその手を伸ばした。何時もは乱雑に流されているだけのヴィラルの金髪は、今日の正装に合わせて丹念に梳られたのだろう、少しだけひんやりとしてするすると指先から逃げていく様が心地よい。ニアの空気を含んでほんのりと暖かかった髪の感触とも違うし、カミナのしなやかで存在感のある感触とも異なった。違うけれど愛しいと思うのは本当だ。
愛しさの違いを攻めるヴィラルのその正しさと愚かさを可愛らしいとシモンは思う。そして哀れだった。
目を瞑ることが出来ないのだ、彼の中の正義ゆえにシモンに怒る。ニアのように包むことが出来なくて、けれどそれこそがヴィラルという個体なのだから責めようとも曲げようともシモンはしなかった。
だって彼の胸の中の、一番柔らかな場所に住んでいるのは、やっぱりたった一人だったから。
だからヴィラルの言葉はあまりに正しくてだからシモンはもうヴィラルのそばには居られない。彼の正しさではもうシモンは彼を傷つけることしか出来ないだろう、そう思えるくらいにヴィラルに想われていることをシモンは自覚している。
応えられないわけではないけれど、ヴィラルがそれを良しとしないことも知っていて、ならばやはり彼から離れるしかない。
それがシモンが彼に贈れるたった一つ。
「ふざけていないよ、俺はお前がとても好きだよ?だからアレを任せられるんだし」
あの大戦艦。任せられるのはお前しかいないんだ。生半可な奴に渡せないしね。
「好きだよ、」
「馬鹿を」
言うな、と続けようとしてかなわなかった。あの日に見た宇宙と同じ色の瞳が輪郭もぼやけそうなぐらいに近くにあったから。
消えていく寸前、あの姫はこの瞳だけを見つめていけたのだろうと思えば、それはとても幸福だったろうと思った一瞬、経験のしたことのない柔らかな体温がヴィラルの唇を滑って、すぐに離れた。
「表情、かわんないなぁ…お前は」
もう少し驚いてくれたって、と勝手なことを言う男の前で実際ヴィラルは放心状態に近かった。何故自分がこんな仕打ちをこの男に受けるのかがわからなかったし、もっとわからなかったのは最愛の姫に触れたその唇でまたヴィラルに触れるシモンの不誠実さだった。
ゆるせない、と直裁に思った。鋭い爪を持つ手を振り上げるがそれが届かない場所に、既にシモンは飛び退った後だった。
「この、恥知らずがっ!」
怒りに任せて叫んだ声には、底抜けに明るい笑い声が返ってきてそれがまたヴィラルには腹立たしいというのに、不意にその声が止まったかと思うと一度も聴いたことがないくらいに静かな声が届くのだ。
「さようならヴィラル、きっとこれが最後だ」
不意打ちに言葉を投げつけて、あとはふりかえりもしない。そうやって遠ざかる残酷なくらいに潔い背中を、やはり許すことは出来ないだろう。
「御託ばかり並べて、…要はお前が」
臆病なだけじゃないか、穴掘りシモン。
…許しはしないが、その弱さに免じて今は見逃してやろう。
誓うような言葉を飲み込むと、ヴィラルも踵を返した。不本意ではあるが居場所と定められた場所に戻るために。
逃がしてやろう、痛みから。
そう願ったのがどちらだったかは、もうわからないけれど。