闘うゲルダ
「…雪だな、中尉」
「雪ですわね、大佐」
一面の銀世界。
「…寒いんだが」
「私も寒いですわよ」
言葉が白い霞になって大気に溶けるのが見える。
「寒いよな?」
「寒いですね」
普段は一部の乱れすら見せない彼女の言葉すら、語尾が震えているくらいだというのに。
「今年もこの季節か」
「ですね」
「戦力は充分か」
「みなぎってますよ、皆」
「そうか…では」
「イエス・サー。いつでもご命令を」
「ああ。…野朗どもおおおおッ今年も覚悟はいいか!」
「「「アイ・サーッ!」」」
銀世界に、野太い声が木霊した。
ことのはじまりは数年前。
「ハボーーーーーーっク!」
「イエース、サーッ」
視界は白一色。眩しすぎて銀色にさえ見えるその中を、もこもこもこもこと掻き分けて走りよってくるのは、金色の犬。…もとい東方司令部、マスタング大佐子飼いの部下のハボック少尉だった。
しかしここは何時もの東方司令部ではない。砂漠に近い東方司令部では寒暖差はそれなりにあっても、豪雪はない。
ここはアメストリス北方の砦、ブリックス。
女傑、オリヴィエ少将の庭だった。
「どうでしたか、大佐!」
俺ちゃんと出来てましたか?
ロイの傍に雪まみれでたどり付いた金髪少尉は、その小麦色の頭を防寒具で隠しながら豪雪も者ともず驚くべきスピードでロイの傍にたどり付くと期待を籠めた目でロイを見た。
現在ロイ達は北方司令部との合同演習のためにブリックス山を訪れていた。
本来であれば、総司令官であるグラマン中将が赴くべきところ、『持病の癪が…』の一言でロイが代行することとなった。
演習に参加する人選も迷うことはなかった。
雪山を未経験の新兵を鍛えるという目的を持って若い兵卒を中心に選抜、勿論それだけではこの厳しい環境を戦い抜くことは不可能だろうから、指導力に富んだ中堅ところも抜かりなく。
ロイの子飼いの部下達も引き連れての参戦だ。
ロイ自身もそうだが、ロイの子飼いも若い者が多い。ハボック、ブレダに関してはつい前年まで士官学校にいた身分だ。この機会に鍛えようと思ってつれてきたのだが。
「…ああ、よくやった」
「?ありがとうございます!」
労いの言葉とは裏腹に覇気のないロイの言葉にハボックは首をかしげながらそれでも喜びの声をあげた。
その素直な感情の表れにロイはほだされそうになる自信を必死に律する。
ここが東方であれば、今頃ハボックの首っ玉にしがみついた上でふかふかの金色の頭をその魅惑的な耳と共にかいぐりしまくっただろう。
しかしここは東方ではない。傍らではホークアイが睨みを利かせていてとてもではないがそんなことは出来ない。
付け足して、今のロイには恐ろしい懸念があり、それが声を曇らせている。
「初めての雪軍だというのに、なかなかのできばえだったな…士官学校のカリキュラムの中であったのか?」
そう。ハボックの演習はとても不慣れな雪の中とは思えない成績だったのだ。思わずロイがホークアイと目を見交わしてしまうほど。
そうすると同じようにホークアイも驚きを隠せない様子だった。だから思わず、自分が在籍していたころとは士官学校の指導要項が大きく変わったのかとついつい口にしたのだ。
「いいえ?でもこうなんですかね、どうやって動けばいいとか、なんとなくわかるんです。雪の中の相手の動きも良く見える」
たいしてのハボックの答えは、なんとも曖昧なもの。しかしロイとホークアイにはこの上もなく納得できるものだった。
それは天賦の才。野生に備わった彼の能力だろう。今は隠された二つの耳と、豊かな尾は飾りではないということ。
「大佐、早々に少尉をお隠しすることをお勧めいたしますが」
「そうだな」
「????」
きり、と何時もに増して表情を引き締めたホークアイ。同じように厳しい顔をしたロイ。演習はうまくいったと珍しくてらいもなく認めてくれた二人が、まるで自分を隠そうとする意図がわからなくてハボックは疑問符を浮かべるばかりだ。
これが自分がミスしたのならわかるが、二人からは怒りは全く感じられず、焦りばかりハボックの琴線に触れてくる。
野生の勘を持つ彼だからこそ、そんなロイ(とホークアイ)の感情をつぶさに感じて途惑ってしまった。そしてそれが、彼の驚異的な危機感知能力を鈍らせてしまう結果になるとは、誰も思っていなかったのだ。
「確保ッ!」
「!?な、なんだぁッ!?」
鋭い声と共に、ハボックの背後の雪がいきなり盛り上がった。
と思うと、その中から現れた大男がハボックを羽交い絞めにして動きを奪う。
「錬金術は使うなよマスタング。ここで使えばお前たちもろとも雪に飲み込まれるぞ」
ロイが指を鳴らすよりも速く、強い声がそれをとどめた。
「…少将。少し悪戯が過ぎるのでは?」
「ふん。お前がこそこそと隠そうとするからだろう。今日の功労者を披露もしない己の無作法を恥じたらどうか」
「貴方がこういう行動に出るとわかっていたからですよ。人の部下にこのような無体を働かれるとわかっていてわざわざお見せするわけないでしょう」
「ふん、知ったことか」
ロイの視線の先、存在が大輪の花にも似た人物…オリヴィエが不敵な笑みを湛えていた。
「横暴な。良くそれで部下の方々もついてくるものだ」
「ふん。お前の怠慢も良く耳にするぞ。ホークアイがよく愛想を尽かさないものだと感心しているのだが」
冷たい吹雪よりも冷たい舌戦が繰り広げられ始めている、その後でハボックといえば屈強な男ふたりに見事に羽交い絞めにされて必死でもがいていた。
いくら油断していたとはいえ、情けないことこの上ない。せめてこの戒めからは抜け出してみせると必死でもがく。
「!駄目よ!少尉大人しくなさい…ッ!」
ホークアイの声は一瞬間に合わなかった。
もがくハボックの頭部から、防寒具がはらりと雪の上に落ちる。
さらにはもがいた結果、コートと共にオーバースカートもまくりあがり、結果。
「耳!?」
「尻尾!?」
ハボックの三角耳と見事な冬毛に生え変わった尾が、その場の全ての人間に晒されたのだ。
しいん、とその場が静まりかえった。
「……いい…」
その沈黙を破ったのはぽつり、と零された声。
声を発したのは、凛々しくも厳しい冬の女王。
寒気だけが理由ではない怖気と共に、ばっとロイが彼女を見れば、ついぞロイが見たこともない表情をしてオリヴィエはハボックを見つめていた。
それからハボックを羽交い絞めにしている男ふたりも。
さあっとロイの脳裏を、北方司令部の連中の妙な固有気質がよぎっていく。
曰く。
厳しい寒さに耐えるためなのか頑健朴訥な彼らは、その外見と相反するように、愛らしいものをことのほか愛し保護する。
冬山の愛らしい瞳をした兎など、食料として確保しなけらばとわかっているのに見逃してしまうことも少なくないらしい。むしろそんな稚い小動物を狩るくらいなら、飢えたクマを相手に死闘を繰り広げる―――。
そこまで思い至ったロイは再度オリヴィエと視線を合わす。
女傑は、今までロイに一度たりとも向けたことのない美しい笑顔をして。
「あれは貰った」
「やるかああああああああああッ!!!!」
言い放った一言が、以降東方司令部VS北方司令部熾烈極まりない、限りなく実戦に近い雪山模擬戦の始まりになったのだった。
「今年こそ、奴らから金狼を奪い取れ!」
「「「アイ・マムッ!!」」」
ロイの耳に、凛とした美声とやはり地を揺るがすような野太い声。
「飽きないな、あの方も」
「そのようですわね」
「ふふふ今年もコテンパンにしてくれる」
「そういたしましょう」
ロイはその声にも動じず。不敵な笑みを湛えている。いや、見るものが見れば、それは笑みではなく憤怒の表情と知れただろう。
「…あの…いい加減止めに」
「「少尉は黙っていなさい」」
「…はい…」
見事なはもりで言葉を切って捨てられたハボックの肩をブレダがそっと叩いてなぐさめている。
彼の少々ヤブにらみ気味な瞳は、それでもハボックの悲哀を充分に理解して、負けんなよ、となぐさめてくれている。
状況を打開することは不可能だったが。
「いい加減にハボックは私のものだと思い知らせてやらなくてはな」
「私達の、です」
「私のだ」
「私達の、ですわ」
「あああああほらほらッ、ぼんやりしてると北方の野郎達が突進してきてますよ!」
「む」
「いけない」
微妙に険悪な空気が満ち始めた上官ふたりの間を、ファルマンがとりなす。すぐに式を始めんと言葉の矛先をひっこめた上官の姿を見て、GJ!とブレダがファルマンに笑いかけた。
ファルマンがアイコンタクトでお構いなく、と伝えるやなや、無線機からフュリーの声。
『敵方前方より展開開始ッ!こちらも応戦準備完了!大佐、どうぞ!』
促されてロイが無線機を掴む。
すうっっと息を吸い込んで、激情を言葉に乗せて吐き出した。
「…北方の雌虎から、東方の宝を守れ。いいか、合言葉は!」
『『『『キープ・ハボーーーーーック!!!!』』』』
野太い声の合掌。
そして混戦へと突入した前方の景色を見やって、ハボックは膝をついた。
「…傷は浅いぞ、ハボック。しっかりしろ」
「毎度同じ位置を抉られたら充分致命傷だぜブレさん…」
うなだれたまま地を這う声を出す親友に、ブレダは同情を禁じえない。
まったくもって女傑の眼鏡にかなってしまったことを不運に思うしかない。毎年毎年ハボックを手に入れようと、挑みかかってくる北方司令部の面々を薙ぎ払うのは、実戦以上に苦労するのだ。ブレダも本気以上の戦略を求められる。
だがそれがこの上もない訓練になっていることも事実なのだ。
「……いつまで俺はこの恥かしい役を…」
「諦めろ。しかたがないだろうがこれも」
ハボックはといえば、この日ばかりは演習参加を免除。何しろ目的が彼自身であるためのこのこと参加してまた初年のように拉致られてはたまらない。
男として、軍人として嘆くのも当たり前だがじっと我慢の子でいるしかないのだ。
…哀れなことこの上ないが。
だが。
「あの人に愛されてる代償ってやつだ」
示す先には、見事な采配を下す上官。その瞳は油断なく煌き、ハボックたちをひきつけて止まない。
「受け止めるのが、甲斐性だろう」
全部愛情の証なのだ。…痛いけど。
ハボックはまだ床に懐いている、それでも、彼のこころが浮上してきたのが気配でわかったからブレダは笑うと、もう一度ハボックの肩を叩いた。
「わかったら、何時ものな」
その声に促されたハボックは、ありがとうと目だけで語ると、音もたてずにロイの背後に忍び寄った。そのままそっと、ロイを背後から抱きしめる。
冷えた大気が、ロイの体も冷たくしていて少し眉を寄せる。しかし反してロイの目は爛々と燃えている。ハボックの愛して止まない光。
ロイは背後のハボックに、視線だけを流すと、手にしていた無線機を差し出してきた。
苦笑と共にハボックはそれを受け取ると、すうっと息を吸い込んで。
「東方愛!頼むぜ野朗どもッ!しっかり守ってくれよ!」
叫んだ声に、東方司令部の面々のこころは一つになった。
苦笑するハボックが腕の中のロイを見れば、彼は皮肉げに笑っていたが瞳のなかにハボックだけが読み取れる感情を浮かべていた。
あわててハボックは周囲を伺う。
ブレダは机に向かっている。
ファルマンは戦況を黙々と記している。
ホークアイとは目があったが、彼女は綺麗なウィンクをハボックによこすと、す、と後を向いてくれた。
再びロイを見る。
「…ハボック」
声は完全に拗ねている。ハボックは苦笑すると、無線をオフに。
「愛してますロイ。貴方の傍にずっといたいんで、しっかり守ってくれますか?」
「当然だな」
綻んだ顔にキス。
「信じてますから」
離さないでね。
懇願の応えは、噛み付くようなキスだった。
目の前は雪。
繰り広げられるのは、実戦さながらのガチンコ勝負。熾烈極まりない激闘の真ん中で場もわきまえず繰り広げられる甘すぎる一幕に、仲間達は眉を顰めて肩を竦めていた。
いろいろと思うことはあるけれど。
とりあえず、説教は後で。
今は大事な仲間を攫おうとする雪の女王に、鉄槌を。少し癪だけれど、自分達が負けることはない。
「だって昔からいうじゃない。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られるものだって」
とは、雪の女王に負けるとも劣らない氷の美貌の彼女のことば。
ともあれ、ゲルダはカイを離さない。
それが物語の定石なのだ。
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