氷の檻
狂乱の後、余韻を惜しむように密度の高い空気が室内に満ちている。
熱い吐息を零して、男が恋人の黒髪に口づけた。さらりとした感触が唇に触れてそれが心地よくて、更に鼻先を埋めるようにする。
「…くすぐったい、ハボック」
「えへへ~大佐の髪ってほんとさわり心地がいいんすよ…もうちょっとこうさせてて?」
歳下の恋人の特権を駆使するかのように甘えた声を出す男に、黒髪の恋人は小さく吐息を一つ。それすら自分に対する愛情の表れだと男は思っていたからひるむことはなかった。
その男の思い上がりともいえる行動に考えるところがないわけではないが、間違ってはいないので黒髪の恋人は殊更に大きく息を吐き出すだけで男の希望を叶えてやる。
結局、歳下の恋人に甘いということだし、ここでごねられると困るな、という個人的な事情もある。
「大佐?」
案の上、朴念仁の癖に嫌なところだけ勘の働く歳下の恋人は、何かを察したのか先ほどの甘えきった声を少し硬いものに変えて声をかけてきた。
「なんだ」
形になるほどの不審ではないだろう、何事もないように応えてやれば、あっさりと疑念を引っ込めた。ロイの、歳下の恋人であるところのハボックはロイのマイナス感情に敏感に反応する。
だが今回はロイのマイナスに運ぶようなことはなく、むしろロイにとって楽しい…望むべきところのものだったからだろう、首を捻りつつも追求はしないことにしたようだった。
どこまでも忠実であろうとする、恋人の誠実さが可愛くて同時に少し哀れにもロイは思った。
「…ホラ、いいからいい加減シャワー行け、お前汗臭い」
「汗臭いって…あんたいきなりムードぶち壊さんでくださいよ」
「五月蝿い、お前の暑苦しい胸板にぎゅうぎゅう押し込められてはかなわん。いつまでもそんな状態では不快にもなる」
「不快ってあんた、何言ってんすか俺の体大好きなくせにー、いまさら純情ぶっちゃっても」
「ハボック?」
優しげな声でしかし目は笑っていないロイに、言葉がすぎたことを悟り両手をホールドアップの状態にしてごめんなさいと素直に謝る。
しかしもう少し引っ付いてたいという彼の主張はあっさりと却下されてしまう結果になった。
じゃあ一緒に、などというお誘いは当然のごとく更に恐い微笑で却下された。こうおなっては手も足も出ないと、ハボックはすごすごとシャワールームに向かおうとベッドから脚を下した。
ペタペタと寝室の入り口のドアに手をかけた。
「ハボック」
丁度廊下にでようかというときに呼び止められる。なんですかと、寝台の上を見れば、ロイがシーツにうつぶせた状態で顔だけをハボックに向けて、たまらなく甘い顔で笑っていた。
「今日はお前いい子に出来たからな、私は今日はこのまま寝るから」
する、と白い指先がさしたのはベッドの横においてあるダストボックス。その中に入っているものを思い浮かべ、ロイの言うところを理解したハボックが瞬間沸騰し顔が真っ赤に染まる。
「お前、私の匂い、好きだろう?待っててやるから早いところ石鹸のにおいさせて戻っておいで、このままでいるから凍えないうちに」
「…っイエス、サー!」
「ちゃんと耳の後まで洗ってこいよ?」
アンタ俺の母親ですか、と応える声はもう随分と小さくなってロイの耳に届いた。普段はことの後には身を清めてしっかりと夜着を身に着けて眠りにつくロイを知っているから、一晩中何の障害もなくロイの肌を感じられると言うことはハボックにとっては随分と嬉しいことなのだ。
もっとすごいことをいくらでもしているのに、そんな他愛もない事で嬉しがる恋人がロイは可愛い。
…本当に心の底から可愛くて堪らない。
「うん、今日は本当にいい子だったよ、ハボック」
笑いながらす、と手を伸ばしダストボックスの中から、目的のものを取り出す。柔らかく白い紙に包まれたそれをそっと開くと、つい先ほどまでハボック自身に覆いかぶさってロイの中に侵入していたものが、ぽつんと存在していた。それに付着している白い液体をロイはいとしそうに見つめる。
「…まだ、生きている…ふふ、今日は久しぶりだったからきっととても元気だ」
うっとりとささやきながらサイドチェストの中から取り出した試験管の中に、そっと、白い液体、恋人の精を落とし込んでいく。あらかた採取が終るときつく蓋をして、再び引き出しの中から取り出した紙にさらさらと錬成陣を書き込んでいく。
やがて書きあがったそれの中央に置かれた試験管。ロイが触れると小さな錬成光が起こりそれが静まると、試験管の中はまるで凍り付いてしまったかのように真っ白になっていた。
「今はまだ眠っておいで?幸運なことに君達が必要になるのはまだ先のようだから、その時になったら起こすから」
そっと丁寧に試験管を布にくるむロイは微笑んでそれに話しかける。
「可愛い子達だ…アイツの、命」
その顔はひどく幸福そうだったし、実際にこのとき彼はつかの間の幸福と安堵を味わっていた。
「…いつか私が君達を起こすときまで、眠っておいで」
けれど、凍ったそれを胸に抱いて囁く声は。
けして幸福に満たされることはなく、ただ虚ろに喪失を恐怖していた。
恐怖を、防衛するのが本能。ならば私のこの行いは、理から外れる者ではないだろう。仕方がない、失えばいきていけないのだから。失えない。失わせない、その手段はここにあるのだから。
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