02 冥界の龍
「…龍が眠っていると」
聞いたことはないかね?鋼の。
「…錬金術師が文学者気取るもんじゃねえって知らねえのかアンタは。ったく頭に虫がわいてるようなこと言ってじゃねえよ」
「龍は比喩だ。力であったり野望であったり、命そのものなのかもしれないな。そしてその龍は一人ひとりの体の中で眠っている。誰もが必ず持っている」
興味ないとばかりに、覗き込んでいた本からようやく金色の子供は語りかける大人に視線を向けた。
夕暮れ時、東方司令部の彼の執務室の中だった。今日は本当に珍しいことにエドワードが弟をここで待っている。いつも弟をここにおいて飛び出していくのは兄の役目だった。
けれど今日はその弟が狩り出されてしまった。なにやら司令部の奥の貴賓室(そんなところがあったなんて初耳だった)にある年代ものの花瓶が割れてしまったらしく、その修復を頼まれたのだった。そんなら俺が、というエドワードの提案は弟を呼びにきた金髪碧眼の煙草好き少尉に却下された。
垂れた眼をしやがって言うに事欠いて、『大将は絶望的に悪趣味だから駄目だ』だそうだ。
よっぽどアンタのほうが悪趣味だろうがよと言ってやろうかと思った。
だってそうじゃないか。悪趣味もここに極まれり、だ。
「そしてときどき龍は目を醒ますんだ。それは様々な形で人の背を押す。どんな姿で現れるか誰にもわからない」
「人の中に寝てるつっただろうがアンタ」
「眠っているさ。中にね、けれど形になっても現れるときく。龍が形になって現れれば私達は必ず判別できる。出来るが、しかしその時はそれと気がつかないかもな。後になって思うのだよ、ああ、アレがそうだったのだと」
「くだらねえ」
「そうかね?そんなことを言うが君は既に龍を解き放ったじゃないか」
夕暮れ時。大きく背中に窓を背負う、悪趣味な錬金術師の顔はエドワードにはわからなかった。
「あの日、あの時。君達に禁忌を囁いたのはなんだった?」
ざわりと背筋に走ったのは悪寒か、それとも激昂だったのか。
なあ、少尉。アンタって本当に悪趣味だよ。
まるで世間話をしているかのような声でこんなことを言う、男を選んだのだから。思考はひどく冷静に、そんなことを呟きながらも意識しない指令で両の手は合わされて、生み出される青白い光。
「…なにを気をたてている鋼の。この物騒なものをはやくしまってくれないか?第一私は君の上官だ。この行為だけで君は監獄行きになってもおかしくないのだよ」
「逆鱗っていう言葉知ってっかアンタ」
「生意気をいうな鋼の。早くどきたまえ」
頚動脈の真上。悪趣味と銜え煙草の少尉はしめしたが、形はともかくその本質をまさに才覚無比に錬成することにかけては、超一流であるエドワードの鋼の腕から伸びた鈍い光を放つ切っ先が、ひたりと当てられている。
だが表情を見せない大人は、肌を切り裂くような殺気の中にあってその発生源である鋼の錬金術師をまるで子猫と対峙しているように扱うのだ。
人差し指が無造作に鋼の刃を押した。
「君の腕と脚を奪ったのは真理。君の弟の肉体を奪ったのも。だがそれは結果だろう…君に錬金術を使えと、人体錬成を思いつかせたのは…なんだ?」
夕暮れが、闇に変わる一瞬に光ったものはなんだったろう。
「思い出してみろ…そうは難しくないだろう、なんせそれほど昔のことではない」
簡単に鋼の腕が押し戻される。エドワードの眼前の男はゆっくりと両腕を組みなおしてその上に顎を乗せる、何時ものポーズをとる。表情は、今度は落ちかかる闇に閉ざされて見えない。
けれど、瞳が。突き抜けんばかりに自分を真直ぐに捕らえていることがわかって、エドワードは逃げ場を失ってしまう。よろ、とたたらを踏んだことも気がつけない様子で、催眠術に囚われたように過去を振り返る。
脳裏には、大量の画像。
錬金術師であるからそ野記憶力は群をぬいていて、もしかしたら脳内に蓄えられた画像は常人よりも多いかも知れない。
それを丁寧に、しかし急激な速さで捲っていく。
一番古い記憶。誰も信じないが乳飲み子のとき、見上げた母親が自分を挟んで父親と軽いキスを交わしている。物心ついたときから両親のそんな行為は一度も眼にしたことがないから、この記憶が乳児のころのものだとエドワードは理解している。
一番多い記憶。笑っている母親。泣いている赤ん坊の弟。少ないけれど確実に存在している父親。…錬金術書。
錬金術。
どうしてだか読み上げることも理解することも容易かった分厚い本。暗号とも思わずただ自然にくみ上げていった知識。生み出された理論、笑いかける母親、笑っている笑っている笑って。
笑って動かなくなって。
『母さんを、造ろう』
どの瞬間にその言葉を?
「あんたら電気もつけずになにしてんすか」
「っ!!」
パッと白い光が視界を焼いて、暗闇に慣れ始めていた瞳に痛みを感じてエドワードは目を閉じた。
「ハボック。もういいのか?」
「ええ、さすがアルですね~。大将と違ってもう殆ど完璧に治してくれたっすよ!中将もこれならいいだろうって」
「そうか。すまなかったなアルフォンス。助かったよありがとう」
「いいえ~僕でお役に立ててよかったです」
ゆっくり眼を開ければ、既に先ほどまでの闇はなく白々しいまでの光が全てを浮き発たせていて、その現実についていけずにhぼんやりとしてしまったエドワードを心配げにアルフォンスが覗き込んでくる。
「…っ、アル」
「待たせちゃってごめんね兄さん。結構複雑なつくりの花瓶でね?なんだか東の遠い国からのものらしいんだけど、色合いがとにかく微妙だったんで」
「ああ…」
「完全にって訳にはいかないね。ああいうの。くっつけるけど違うものになっちゃうんだ、良く似た別物」
「……別の」
うん。同じ材料でも同じ形でもなにかが違ってくるんだ。
改めて呟く弟の冷たい鎧の頭を大きな手が軽く叩いた。
「そうだな、アルフォンス。お前サンに骨折ってもらってなんだけどな…結局一度壊れたものを元に戻すってのが無理なんだな」
そういうもんなんだ、だからきっと価値があるんだろ?
「うん、そうだね少尉」
素直に頷くアルフォンスに明るくハボックが笑いかけている。その様子をただ黙ってみている様子のロイからは先ほどまでの、暗く底のない沼のような感じは消えていた。何時もの、不適に笑っている焔の錬金術師だ。
「兄さん?そろそろ戻ろうか?おなかすいたよね?」
珍しく静かな兄に優しい声をかけるアルフォンスにそう促されてようやくエドワードはロイから視線を外すことが出来た。いつの間にか肩には過ぎる位の力が籠められていたらしい。
緊張が緩んだ瞬間にくらりと眩暈がするくらいだった。
「おい、大将!大丈夫か?」
「・・・、あ、ああ」
よろめいたところをハボックに受け止められた。見上げれば、空色の瞳が気遣わしげにエドワードを見やっていて、それに心配ないよと告げた瞬間に、総毛だつ様な悪寒を感じて思わずエドワードはハボックから身を離した。
「…大将?」
気遣わしげに覗きこむ水色の瞳の色は変わらないはず。
「自己管理がなってないんじゃないかね?鋼の?」
かかる声も、何時もと同じ。それなのに、どうしてかエドワードの神経をひどく圧迫している。
これは、なんだ。なんだ、いやだ、気持ち悪い近づくな、来るな、この感じは碌なことがない、これは危険だ危険だ危険だ、だって俺はこれに、奪われた。
逃げろ。
「・・・ッうるせえよ、用が済んだんなら帰るぞ!行くぞアル!」
「え、ちょっ兄さん、なに・・・っもう、あ、大佐に少尉!お世話になりましたっ」
ぐいと、有無を言わさぬ力で腕を掴んで傍若無人に退出しようとする様子を、アルフォンスは兄の何時もの癇癪だと思ったのだろう。焦りはするがそれでも何の疑問をもつこともなく、兄の代りにと室内の大人ふたりに律儀に挨拶をする。
アルフォンスは気付かない。それは彼の体が何の感覚も持たない鋼の鎧であるから。もし彼がその身を失っていなければ気がつくことが出来ただろう。
彼の腕を掴むエドワードの掌にびっしりとつめたい汗が浮いていたこと。振り返らないその理由も。
そしてすぐに兄の背中を追うように振り返ったから、自分達を見つめる黒髪の男の唇が音もたてずに囁いた言葉を知ることもなかった。
人工の光に照らされて明るい室内。それでもそこに確実に存在する温く暖かいからこそ底の見えない闇の中央。
『…私に囁いた龍は君達だよ』
かつて自分達が犯したものと酷似した罪に怯えるエドワードに、感覚を持たない鋼の体の弟は気がつくことはなく、ゆっくりと重厚な扉が閉まっていく。
そして禁忌に怯える子供の去った室内に、とうの昔に罪人に成り果てた、おとながふたり残されて。
閉ざされた扉の向こうで、眠る龍の声を金色の子供は聴いた気がした。
龍がまどろむその闇は、人間の血肉の奥に。
あたたかな冥界のなかでそれは啼く。
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