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この座敷に入った折に、酒と肴を運んできたきりで全く姿を見せなかった良太猫の声が、障子の向こうから聴こえる。
「…おう、良太猫か。どうした」
「お連れ様がおいでになりましたが…お通ししても?」
「…連れ、」
間の悪いことだと、心の中で良太猫を詰っていた鴆だが彼の言葉に首を傾げる。
連れ、といわれればこの席を用意した張本人のリクオのことかと思うが、それにしては良太猫の取次ぎもおかしい。
もしリクオであれば、良太猫はそう鴆に告げるだろう。お通ししても、などという伺いすら立てない。なぜなら鴆の抗いがたいあるじがリクオであるように、良太猫のあるじもリクオである。
最も優先されるのはリクオの言葉。(勿論それが良太猫の矜持である、商売の倫理を穢さないものである限りだが、リクオがそれほど愚かな言葉を発することなどあるわけもなく、よってその線はまず消える)鴆や、その連れに伺いを立てることなどなく、リクオであれば既にこの場に通されているだろう。
つまり良太猫がこのように鴆に伺いを立てに来た、ということは連れだと名乗る者が良太猫が門前払いを食らわすことのできないほどの人物で、しかしこのまま通すことも憚られる相手、ということになる。
第一鴆はこの席に他に連れがやってくるなど、一言も告げてはいないのだ。
「良太猫。いいからそこを通してくれ」
「猩影様!困ります、お待ち下さいと申し上げたはずですよ!」
(猩影だと?)
慌てた良太猫の呼んだ名前に、彼がこうして伺いをたててきた理由は解明した。猩影は父親である狒々の後を継ぎ、いまや立派な奴良組の幹部の一人になっている。けしておろそかにしてよい相手ではなかった。
立場的にも鴆と同列であり、良太猫もどうしたらよいのか、と悩んだ結果、奴良組の幹部としてではなく、この化け猫組の頭目として判断した結果だろう。
しかし当の猩影は待ちきれなかった様子で、座敷の前にまで既にやってきた様子である。鴆がちらりと振り返ってみれば、つれである縁者の男はどうしたことか、と目を白黒させている。
(…リクオが噛んでやがる筈だ)
それだけは確実だった。ならば、まずは彼と話さなければ何も始まらないだろうと、鴆は判断する。
「いい、良太猫。通してくれ」
「ですが、鴆様!おいでになっておられるのは猩影さまだけではないんですよっ!」
「なに、」
それは、どういうことだと良太猫に問いただす間も鴆には与えられなかった。
「あっ猩影さま、もう少しおまちください…っ」
「鴆殿の許可はでただろう?俺は妹をこれ以上衆目に晒すつもりはないんだ、すまないけど」
障子の向こう側で、僅かにもみ合うような気配がする。良太猫も突然の展開に慌てながらそれでも対応しようとしているのだろう。しかし猩影は止まるつもりはないようだ。
ならばあの体格差だ、良太猫の力では万が一にも猩影をその場にとどめることは出来ないだろう。
(妹、とか言ってなかったか?)
不審に鴆は眉を寄せた。猩影に妹がいるなどと聞いたことはなかった。もちろん狒々は大妖怪であったので妾の一人やふたりいてもおかしくはないだろうが、子となると話は別だ。
よしんば妹がいたとしてもこの場に連れてくるなんてどう考えてもありえない。流石の鴆も混乱してきた。
「猩影様…っ、お待ち下さいって!」
「いいから。ここを開けてくれ、良太猫」
障子の外では、立ち上がった良太猫が猩影の前に立ちふさがっている。体格の大きな猩影にすればそんなもの壁にもならないところだが、無理やり押しのけるつもりも今は無い様子で、言葉でのみの応酬をしているようだった。
「ぜ、鴆どの、これは…?」
予想もしていない展開に、縁者の男もおろおろと視線を彷徨わせている。
どういうことなのでしょう、と聞かれてもそんなもの鴆にだってわからない。けれど、いつまでもこうしていても仕方が無い、と覚悟を決めて口を開こうとしたその時。
「…鴆さま、ここを開けてくださいまし…」
「!!!」
鈴のような、と表現するのが最も相応しい可憐な声がした。
その声が届いた瞬間、鴆は素早く立ち上がり、どうなさいました、と泡をくったような縁者の声も無視して荒々しい仕種で障子を開けはなった。
「鴆様…っもうしわけありませんっ!」
「すんません鴆殿。これがどうしても、と聞かないものだから…けれどこいつの気持ちわかってやってくれませんか」
「ぜ、鴆どの…!それに猩影殿!?これは一体全体どういうことなのですか…っ!」
良太猫、猩影、縁者の男。それぞれの声はたしかに鴆に届いていたがそれだけだった。
障子を開け放ったその瞬間から、鴆の視線は猩影の片腕にちょこんと幼子のように抱かれている生き物に釘つけになっていた。
「…ほら、陸奥(むつ)、鴆殿が出てきてくださったぞ…?」
猩影とはそれなりに親交がある鴆と良太猫だったが、こんなに柔らかな彼の声を聴いたのは初めてで、少なからず驚くが、それも当然かとその場のだれもが思った。
「申しわけありません、鴆さま、良太猫さま…。猩影兄様を責めないでくださいまし…兄様はわたくしの我侭を聞いてくださっただけなの」
羽で撫でられるような声だった。音階は思ったよりも低いだろう。けれど、その柔らかな語調がそう感じさせない。
「鴆さま…わたし、どうしても我慢が出来ませんでした。おゆるしください…」
まっすぐにその栗色の瞳を鴆に当てて、猩影に抱きかかえられたままでその生き物は語りかける。
奴良組幹部である鴆の前で、無作法この上ないところだったが、誰も咎めることが出来なかった。
さらりと柔らかそうな髪を揺らして、その生き物は鴆に向かって頭を下げた。短めに切りそろえられた髪は良く似合っている。長く伸ばしてもきっと可憐だろうと、良太猫はふわりと揺れるそれを見守りながら思った。
(あ、猩影さまと同じさし色)
そうしてじっと見つめると、あまり目立ちはしないが栗色のそれの中に、いくらか色味が顕著に異なる部分がある。それは明らかに、その妹だという人物を片腕に抱えている猩影と同じ色をしていた。
(あまり似てはいらっしゃらないようだけど…この様子では本当に妹御でいらっしゃるのか)
そんな場合ではないと思いながらも、良太猫は再度まじまじと猩影の腕の中の人物を見つめる。体格の良い猩影に抱えられているからだろうか、その体の華奢さが目立つ。腕なんて良太猫の片手でつかんでもだいぶ余るだろう。
首も細い。身につけている着物は見事な仕立ての振袖。薄い桃色が、裾に向かうにつれて、朝もやの青が混じった複雑な濃い桃色に染まっている。これを着こなすのは難しいだろう、着るものを選ぶ色だと簡単にわかる。
柄は、桜が肩から裾に行くにつれて広がっていて、長い冬を越えた蕾が咲き初める様を見ているような気分になる。
そんな桜の中を、金を基調にした帯に銀糸で縫いとめられた美しい姿の鷺だろうか、大きな鳥が舞っている。使い古されたようで、斬新な柄だ。
こういった色町には少し不似合いだったが、まさに令嬢と言った風情の彼女にはこれ以上なく似合っている着物だった。
まさに帯も生地もはじめから彼女のためだけに誂えられたかのよう。しっくりと馴染んだ様は、何も知らない良太猫にすらそう思わせるのに充分だった。
「馬鹿な娘とお思いでしょう…ですが鴆さま」
震える声。
一端目を伏せ言葉を切ると、彼女は自分を抱える猩影に向き直る。
おろしてくださいまし、兄様。
小さな声でそう乞う彼女の願いに猩影は一瞬戸惑ったようだったが、すぐに彼女の願いは叶えられ、とん、と軽やかに娘の体が良く磨かれた板ばりの廊下の上に下ろされた。
ちりん、と鳴った音は、娘の帯締めに飾りとしてつけられている銀鈴のもの。短い髪がさらりと揺れて、猩影に抱えられているときは視線があまりに高かったので気がつかなかった髪飾りが見える。
それは大きな牡丹を象っているもので、組紐と真珠の玉がキラキラと光を反射する。けして華美になることなく、彼女にこれもしっくりと納まっている。
(牡丹の花言葉は…高貴、壮麗、恥じらい…これはまた)
なんとも、と良太猫は秘かに笑う。猩影の腕から降り立った彼女は長身の兄とは違い、小柄な性質であるらしい。
ほっそりとした肢体は風にも折れてしまいそうなほどなのに、キラキラと光る瞳がけして脆弱な印象を与えない。
たおやかでしなやか。花のような、というのは彼女のためにある言葉ではなかろうか、とまで思わせる少女だった。
「…おまえ、」
(おまえ、って鴆さま…っ!)
鴆の口から漏れた言葉に、良太猫は驚愕した。いくら鴆とはいえ、見るからに深窓の姫君、といった風情の娘をお前呼ばわりは無いだろう。それも幼い子供時分であるならともかく、少々幼い気はするが、彼女も妖怪で言うところの成人はむかえていると思われる。
そんな彼女に対し、お前、などといえばそれは邪推をしろ、と言っているようなもので、事実鴆と共に座敷にいた男などは、はっきりと狼狽している様子だった。
しかし鴆はそんな男に頓着する様子はなかった。
いや、むしろそういうならばその場の彼女以外の者は彼の眼中にはないだろう。
傍から見ている良太猫のほうが慌ててしまうほど、彼女が現れてからの鴆の意識は彼女にだけ向かっていた。
(まさか、まさか、まさかこれ誤解じゃなかったりする…?)
そんな風に良太猫が思うのも仕方がない。
ひたすらにこの美しい少女のみを見つめる鴆なのだが、当の彼女もひたすらに鴆だけを見つめている。
「鴆さま」
そうして彼女は鴆の名をもう一度囁く。
「「っ!!!」」
息を飲んだ音は複数。良太猫は勿論のこと、鴆の連れの男。猩影もだろう、鴆は、と見ると彼もやはり驚いた顔をしていた。浮いた両腕が、落ち着く先を探すように彷徨っているのが妙に目につく。
(そこは抱き締めるところでしょうよ、鴆のだんな)
な、感じの妄想大爆発!本です。
いろいろ入り混じっている本ですが、どうぞよろしくお願いいたします★
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