前サイト1111HITキリリクハボロイ
LOVE IS
「…ハボック?」
「…………。」
「ハーボック、ハボック~」
「………………………。」
「ハ・ボ・ッ・ク?」
甘い、テノールの耳に心地いい声が先ほどからたった一つの名前だけを繰り返し繰り返し呼んでいる。
もう太陽も半分以上が地平線の向うに姿を沈めようとしていて、東の空は藍色から群青色に染まって、更に一番色の深い場所には一つふたつと星がきらりきらりと瞬き始めている。
美しい夕暮れと、優しい夜の合間に相応しい甘い声が繰り返し男の名を呼んでいる。
「ハボック…ハボックハボック。ハボ?」
「………。」
けれども呼ばれている当の本人はだんまり状態を継続中で、大きな背中に哀愁を漂わせながらそっぽを向いて振り向きもしない。まさにその姿は大きな犬が拗ねている様そのままで、いけないと思いつつもロイは唇から零れる笑を止めることが出来なかった。
「…っ」
あ、やばい。
そう思ったものの、覆水盆に返らずというやつだ。
小さく息をのむ声と共に更に背中に漂う空気がおどろおどろしくなった。
「ああ、いや違うぞハボック」
「…なにがちがうンすか、なにが!」
まずいやばいと流石に思いつつ、それでも口元から笑みは消えないものだから説得力は皆無だ。ロイのその様子に流石にハボックの眦もきりきりとつりあがって、普段はどこかぽやんとした青い瞳も刺すような鋭さでロイを睨みつけている。
その理由が十二分にわかるからこそ、ロイは苦笑はしてもハボックを咎めはしなかった。
「そうだな、すまないハボック。私が悪かったな」
「……あんたねえっ!」
それどころかあっさりと謝罪を口にした上官兼恋人にハボックが声を荒げた。 ふたりがいるのは、ロイの自宅のリビング。男一人で暮らすには広すぎるが、佐官それも大佐には一室だ。広いフローリングの床の上にはさわり心地のよいラグがしかれ、その上にこの屋敷の主人とその部下権恋人が向かいあって座っている。 ふたりの傍らには、見るからに柔らかくて座り心地の良さそうなソファがででんと鎮座しているのにも関らず、だ。 ある意味とてもシュールなその風景。
「すまん、ハボック」
「アンタねえ…!!そこで謝るってどういう了見ですか!最低だっ!」
「うん、ごめん」
再度の謝罪に今度こそハボックは言葉を失って黙り込んだ。
ふたりのいるリビングと続きのダイニングキッチンからは何時間も前からよい香りが漂っている。ちらり、そちらにロイが視線をやれば、見事な料理の数々が、これもまた一人暮らしの男のキッチンには不似合いなくらいに大きなテーブルの上に所狭しと置かれていて。今日という日の大半を彼がこの料理に費やしていたのをロイは知っている。
「なんのために、今日俺ここにいると思ってるんですか…!?」
「私のためだな、わかってる」
熱かった夏もようやくすぎて、朝夕はそろそろ半袖では厳しい季節。夕方にもなれば、愛らしい声でりりりと虫の鳴き声が聴こえてくる季節の、一日。 二十数年前の今日にロイはこの世界に生を受けた。
「もう、陽も落ちましたよ?…俺、馬鹿みたいじゃないですか」
嫌なら、そういえばよかったんだ。
ふいに弱くなった声が、怒りよりも哀しさを多分に含んでいるのがわかって、ロイの胸も痛んだ。
たかが、誕生日と。以前はロイもそう思っていた。世話好きな親友がこの日に毎年大げさなくらいに祝おうとするから、はっきりとそう告げたことすらある。そんなロイに親友は小さく眉を顰めたあとで、誕生日なんてモンは本人じゃなくて周りの人間の為にあるようなもんなんだから、大人しく祝われとけ!と大声で告げたものだ。そんな誕生日を何度か繰り返してそれを疑問にも思わずに過ごしてきた、ロイにとってのその日の意味を変えたのは他でもないハボックだった。 まだふたりの間の感情が曖昧だった数年前から、ハボックはロイの誕生日になるととても嬉しそうに、ロイがこの世界に生まれたことを祝って、そして感謝してくれた。
その目は今までの誰が向けたものよりも(それはあの髭面の心配性の親友よりも!)優しくて真摯で、その眼差しだけでロイはどうしようもないくらいに幸福になれたから。
誕生日はその時から、ロイ自身にとっても特別な日になった。数多の人がそうであるように、彼の中で誕生日、というのはいい日なのだとそうインプットされたのだ。自分にとってとても嬉しいものが、与えられる日。 小さな子供と同じ感覚だが、それでいいと、この恋人も言ったし親友も頷いた。
だから。でもそれはロイの感情の話で、ハボックにはそれは当然伝わらない。だから彼は辛そうに眉を顰めてうなだれているのだ。
「……俺、馬鹿ですから、言われなくちゃわかんないっす。こんな、一人で勝手に浮かれてアンタの邪魔して」
「ちがう」
「違わないでしょうが、今日一日あんた俺のことなんて全然、」
言葉を切ったのは、ロイを責める自分の勝手さを自覚しているからだろう。ロイのために、といいつつそれが報われなかったと彼を詰る言動がハボックは許せなかったのだろう。
だが、それでもやはり感情は納得できるものではなく、そんな青さまでもが相乗効果となってハボックに襲い掛かっている。 ロイを責められない、でも傷ついた自分の心も自己主張をやめない、そんな葛藤を浮かべた瞳が哀しげに曇るのを見るに至って、ロイの我慢ももう限界になった。
「…っハボック!!」
それだけを湧き上がる感情のままに叫ぶと、目にも留まらぬほどの素早さでハボックの逞しい胸にしがみつき、驚愕に見開かれる青い瞳に満面の笑みで答えた後に。
「はあっ!?っ…んっむううううううっっ!」
「ん―――ん、ん、んんぅ…」
蛸だってここまでじゃあないだろう、というくらいの強烈さでハボックの唇に吸い付いた。
「むーっ!むむむっぅ、うううううっ!」
「んん、ん―――」
当然のことながらハボックはこの唐突な行動に目を白黒させ、とりあえずロイの体をひっぱがそうとするのだが、普段は昼行灯を気取っているくせにその実とんでもなく強靭な軍人である上官の身体はびくともしない。挙句にはぴったりと唇を合わされているところに体に力を入れたために早々に酸欠状態になってしまい、とうとう観念してからだの力をぬく。
そのハボックの恭順を大人しくなった身体から読み取ったのだろう。ロイの口付けも奪うものから与えるモノになって、息継ぎのタイミングを取ってくれるようになった。そのまま口づけは深まり、ロイから与えられるだけではなく、ハボックも与えるようにして散々に唾液を混じり合わせた。
やがて、唇が少し痛みを訴えだしたところで、ようやくそれは解かれた。
「…朝は、7時に起床」
はふ、と互いに吐息をついて暴走しそうな欲情を押し留める。
なんとか治まりのついた欲情にハボックが肩の力をぬいたところで、ロイは彼の上気した頬に手をあて、自分から目を逸らせないようにしてしまう。
そして何の脈絡もなく告げられた言葉に、訝しげに上下する瞼に一つキス。はたはたと揺れる金色の睫をうっとりと見つめながら続きを口にした。
「三十分もかからないで朝食の用意をして、ゆっくり私を起こして抱えるみたいにリビングに連行。ぼんやりしたままの私にまた甲斐甲斐しく朝食をとらせてそれからバスルームに私を突っ込んだ」
何しろ夕べは少し激しくしすぎたからな。
そこまで言うと、ぱあ、と紅くなる以外に純情な恋人が可愛くてその鼻の頭にもう一度キスをしてやった。
「いつもならお前も一緒に入って、洗ってくれるのに今朝はお前はそうはしなかった」
「……怒ったんすか?」
それが今日一日のロイの仕打ちの原因なのかと、深く眉間に皺を刻んで問いかけてくるのには、違う、と即座に否定してやる。
「…じゃあ」
なんで、と暗く呟くハボックの様は迷子になった子犬のようで、もう一度慰めるみたいにロイはそのこめかみにキスをしてやる。
「私がシャワーを終えて出てこれば、お前は夕食の仕込みの真っ最中だった。もうそろそろ煮込み料理も上手い季節だからな、久しぶりにお前が私の気に入りのビーフシチューを作ろうとしてくれているのがわかって嬉しかったよ」
え、と思いもしない言葉にハボックがロイを見上げてきた。それはもう、今のこのときならキッチンからは実に食欲をそそる匂いがしていて、ロイの言葉通りにそこには気合を入れて半日煮込んだシチューが存在することを想像するのは簡単だ。しかしロイは早朝の朝の仕込みの段階でそれを看破していたのだというのだ。ハボックの記憶では仕込みを始めたのはロイがシャワー室に消えた後だったし、シャワー室から出てきたロイはハボックが気がついたときにはリビングのソファーの上にコロンと転がって、その手に分厚い錬金術関係のものと思われる書籍を持っていたのだ。
それを目にしたときのハボックの落胆は計り知れないものだった。その書籍の厚さはロイをして読破に数時間は費やす者だろうし、何よりハボックはそれがセントラルの髭の中佐から贈られてきた、バースデイプレゼントだということを知っていたからだ。つまりはそれがロイが目を通したことのない書物、というわけでイコールそれに没頭するロイの姿が簡単に想像できたということだ。
そしてそのハボックの危惧は哀しいことに現実となって。 その後、ロイがその書物から目を離すことはなかった。
「とりあえず鍋から目を離せる段階になって、初めてこっちを振り返ったお前の顔はちょっとすごかったぞ」
「あたりまえです、あんたいつの間にか本に首っ丈になって、る…し…?」
自分の言葉の矛盾に気がついたのだろう。振り返ったときにはロイは既に文字の世界に埋没していて、落胆していたハボックの面相など拝めるはずもなかったはずなのに。
「かくーんって肩が落ちるのは見事だった。それでも健気なお前が私のために料理を続けて、ときどき気にしたふうにこっちを哀しそうに見てたことも知ってる。あんまり私が没頭してるように見えたのかいじけたみたいにお前、やけに凝ったケーキ作り出すし」
「…いじけてたんじゃなくて、あれはアンタのバースデイケーキ…ってアンタどうして」
普段であれば文字の世界に飛び込んでしまえば、ロイは外界を一切遮断してしまう。まさにそれは没頭と呼ぶに相応しく、現実の世界に引き戻すのに大層苦労するのだ。しかも今日はハボックはロイを現実の世界に引き戻そうとはしていなかった。勿論、戻ってきてほしいと強く願ってはいたが。それくらいの没頭振りだったというのに、何故ロイはこんなに今日のハボックの行動を把握しているのか。
「うん、そうか楽しみだ。あれは新作のようだったしな。初めてだ、あんなにたくさんベリーを使ったケーキは」
「こないだ実家からたくさん送られてきたんでって、ってそうじゃなくってだからどうして…!」
「見てたからな」
あっさりとロイはハボックの疑問に答えてやる。ホラ、と指し示した先に見えるのは大きな姿見。いつの間にかリビングに出現したそれは少し不自然な角度でおかれているとは思っていたが、いつかロイがそのままにしておけと言ったので、微妙な角度を保ったまま存在している。
理解が追いついていない様子のハボックを、今日一日ロイが占領していたソファーに招いてやる。そうやって初めてハボックはそのからくりに気がついた。
「…っこの、悪趣味…っ!!」
「失敬な」
その鏡からはキッチンの…今日一日殆どの時間をそこでハボックは費やした…様子がばっちりと映っていた。更に言うのなら姿見とはまた別にリビングにかけられた鏡には、姿身にうつるのとはまたね別の位置のキッチンが映っている。しかもそれらはなにか錬金術でもかかっているのかやけに鮮明だし、映す対象も鑑賞者に見やすいようなのか像が拡大されている。
そうやって見て初めてハボックは今日一日のロイの行動の真実を悟ったらしい。悲痛な声で一言叫ぶと、ぼふ、とソファーの座面に勢い良く顔を埋めた。
「だって私の誕生日なんだろう?」
自分がこの世界に産み落とされた日で、自分のことをどんな偶然に導かれてか大切に思ってくれている稀有人から、祝ってもらえる日、嬉しい日。いいものをくれるって理解した子供の感覚を咎めなかったのは、お前たちだからとロイは堂々と胸を張って言った。
「可愛かった。一生懸命料理するお前も、がっかりして肩を落として寂しそうにしてるのもいじらしくて。寂しくて、だんだんと怒りがわいてきて、それでも私の邪魔だけは出来ないって哀しそうにしてるところなんて見た日には抱きしめてやりたくてたまらなかったな」
「鬼……!」
あんた本気でひでえよ、鬼だ悪魔だ大魔王だ、悪趣味にも程があるってんです、コノ野朗、俺の傷ついた純情どうしてくれるんすかーなどなど。
ソファに突っ伏してくぐもった声で訴えるのは正直な彼の心だ。 まさかそんな理由でこんな仕打ちを受けていたのだと知れば、怒りは再燃するのが普通だし、実際ハボックの胸中は荒狂っていることだろう、けれど。 ほんのりと白人種特有の白さを保つ耳朶までが赤く染まっているこの事実。
「幸せだったな。私の見ることがなかったお前を見れたから。」
「…………。」
愛されているからこそと、ハボックが感じてしまったからだ。そしてそれは今日という一日にずっとロイが感じていたこと。
「あーーーーーっもう!アンタって人は!」
がばっと勢い良くハボックが伏せていた座面から顔をあげる。先ほどのロイの再現のように、目を見張るような素早さでしなやかなロイの体をその強靭な腕の中に拘束し、噛み付くみたいに口づけを。
「ふがっ!」
「おーちーつーけ、ハボック?」
…しようとしたハボックの唇はロイの両の掌に遮られる結果となった。ハボックの唇を両手で防ぎながらロイは、それはもう綺麗なきれいな顔で笑ってやる。心の赴くままにロイを愛そうとしたハボックは勢いをそがれて、しかしそこは若さというか情熱というかなんというか、ぐぐぐとかなりの力で責めているのだが。
所詮まだまだ若造というやつで、ロイはこれでいて経験豊富なものだから、上手くハボックの勢いを殺してしまう。
「大佐っ!」
理不尽に行動を阻まれたハボックの恨めしげな声を笑いながら、ロイはキッチンに目をやった。その先のテーブルにはハボックが一日いろんな気持ちを籠めて作った料理が、食べてくださいと鎮座しているわけで。
「私に、お前の愛情の形を食べさせないつもりか?」
因みに私はお前の愛情たっぷりなあれを今すぐ堪能したくてたまらないんだけどな?
にこーとハボックがこの笑顔に逆らえないと知っていて、止めを刺す。うーうーハボックは不満げに唸って、それでもロイがその意志を翻さないことを理解すると、がっくりとロイの肩に額をつけてうなだれた。
「…アンタ、マジに鬼っすか…」
「ははは」
その訴える声が、今日一番の落ち込みを見せていて、ロイは零れる笑を抑えられなかった。
「笑ってないで下さいよ…っ」
聞きとがめたハボックが本当に渋い顔をして拗ねた声を出す。それが可愛くて幸せで愛しくて仕方がなくて、ロイはハボックの頬にキスをした。ぴく、と体を震わせても誤魔化されませんからと厳しい声を出すから、反対側の頬にもキスを贈った。
「ほんとーにさいてい、あんたなんて」
それでも頑なにそんなことを言うから、楽しくてたまらなくて、そっとハボックの耳に流し込むように囁く。
「あれを私に食わせたら、私を頭からつま先まで磨き上げてくれ」
「…あんたなんて」
「それからベッドでもう一度フルコース、だ。中尉からのプレゼントは明日も二人そろっての非番だぞ?知らなかったろう?」
「………本当に、あんたなんて」
「昨日より、もっと愛してくれ」
だって私の誕生日だ、いいだろう?と下から覗き込んでやれば、ふてくされたみたいに引き結んでいた唇から地の底に響くくらいに大きなため息をついて。
「……大好きです」
最後に律儀にそう付け足してくれる恋人が本当に愛しいから、まずは味見と、ロイはハボックの唇を奪い。 すぐさまあがった、ずるい!という抗議には声をたてて笑った。 【了】
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