F/a/t/e 槍弓話。槍がなんだかよわ-な感じです。
リフレイン
後悔をしたことはないのです。
振り返ることはなかったから、駆ける脚ははやすぎて、追いかけてくる声も届かなかったから。
後悔をしらなかったのです。
因果はすべて自らにかえり、愛しいものをこの手で壊しても、受けるべき災禍はすべて我が身でうけて愛しい者に零しはしなかったから。
後悔せずにいられたのです。
愛するものが幸福であると思っていられたから。
我が身の愚かさを気付けないほどに、愛されたから。
しらずにいられた、こだまするあのこえを。
陽炎が見える、ような。
その言葉と指し示す現象を、再度の現界をこの歪んだ時間軸に果たしてからランサーは理解した。
遠く遥か彼方の、自分が生まれた故郷ではついぞ目にしたことのないそれに良く似ている。
昂ぶった身体は、涙の膜を瞳の表面にはって、水膜を通してみる世界は、そう、陽炎を見ているかの用に揺らいでいる。ゆらゆらとつかみどころのない空間に破棄だれたような錯覚。
身体は興奮を遺しているのになぜか背筋が凍る。背後にある何かに吸い込まれてしまいそうな。
歪んだ世界に、一人だけ置いていかれて、そして消えいくようなつかみどころのない、だからこそ強烈な、これは恐怖、なのだろうか。
「…クーフーリン。もどれ」
たゆたう意識は、掠れた声と緊張に張り詰めた背を抱きしめる腕に引き戻された。
ほと、と水滴が瞳から落ちる。一つ堕ちるとまたたきに合わせてまた一つ、そして二つ。
いくらか水滴が零れると歪んでいた世界は鮮明さを取り戻した。同時に、自分を抱きしめる力と声の主の存在を知覚する。
「…全く、君が生きた時代でもこういった場合に相手のことを見ないのは失礼にあたるんじゃないか、槍兵どの?」
身体はもう繋がってはいなかったけれど重ねたままだった。弓兵…アーチャーはは軽口を叩くことで柔らかくランサーを包む。ランサーを、ではないかも知れない。ランサーに与えられた痛みの原因をオブラートで包むみたいに。
「あったけえ…」
物理的には、ランサーは力強いアーチャーの腕に抱きしめられている。情事において、ランサーに抱かれることを苦笑一つで了承する彼だったが、その肉体はランサーに負けず劣らず、いや僅かに彼のほうが逞しい。その腕のなかに包まれてことり、と頭を落とす。
鋭い、鋭利にすぎるなにか(あざとい、とこの思考を知れば、だれもが頷くだろう)で貫かれたおおきな傷が残る場所に。
世界はなぜこの男にのみ傷を残すのだろう。ランサーの体には傷は残っていない。もしアーチャーのように生前の傷が残るのならランサーの腹には臓物が一度飛び出るほどに開いた傷があるはずだが実際には綺麗なものだった。
それが、今になってどこか淋しい。
ふ、と目を閉じる。ことこと、と鳴っているのは心臓の音だろうか。送り出す血脈もなくそれでも囀る心音は、まるでこうやって寄り添う人間をあやすためだけにあるようだった。
言葉もなく懐くランサーを黙ってアーチャーは抱きしめている。緩やかな速度と、温度。
こと、こと、こと、こと、こと、こと、こと。
興奮が落ち着けば、鼓動も一定のリズムを刻む。心地よい音。暖かな体、強い腕。
優しい声、愛しいその在り方。
「…なくしたくないって」
「ランサー?」
「失くしたく、ねぇな。お前のこと」
指先が髪の中に潜るのを感じた。そのままゆっくりと梳るのに、先を促されているのだと理解してゆっくりと言葉を紡ぐ。
「生きてる時もな、失くしたくないってものはたくさんあったぜ。抱えて走ってるつもりだったんだけどなあ…」
違った。いまになってようやく気がついたんだぜ?なっさけねえ話だよ。
懐いていた胸の、傷跡に口づける。不可思議な因果によって、ランサー自身が与えたその傷に。きっとあの幼い少年を、『エミヤ』となした布石の一つに。
気付かずに、知ることなく走っていた、これからもそうなるはずだった男自らが打った布石。その皮肉。
だからこれは、罰なのかもしれない。
「後にな、置いているだけだった。なにひとつ抱えて走っていなかった。だからはやく走れたんだろう」
道理だな。身一つであれば、誰もが早く駆けて行ける。
そうして、愚かに気付けず。降り注いでいただろう想いすら気付かずに走り走り、走り。
そうして、何も失くさずに、全てを無くして。
「それで今はこんなんだ」
世界に膝を折ったのは何も、お前だけじゃない。
「せっかく、わかったのにな」
「ランサー」
「なくしたくない。お前を」
なくしたくない。この両腕に、抱えていきたいのに。今度こそ。
「…ランサー」
「…ああ、こういうことを剣が折れるっていうのかもしれねぇ、な」
ひとつを。
たったひとつを、この腕に。
「…馬鹿だな、君は」
「…ああ、そうだな」
髪を梳っていた手は、ランサーの両頬を挟んで引き寄せる。至近距離で鋼色の瞳と見つめあう。いつかのあの日に心臓を貫いたその時には、琥珀色をしていた瞳。
間もなく、そっと瞼が下りて瞳は隠された。同じようにランサーも瞳を閉じながら、口づける。
「…ラン、サー」
口づけの息継ぎの合間、囁く声。
『それでも、…君は、きっとはしる』
促されて、体内に再び熱を埋める。耳朶を擽る吐息が愛しければ愛しいほど。
それは、強力な呪いのような事実。
世界に繋がれ、永劫にこの腕に持てるものはない。
その事実に、涙を流すつもりは無いけれど。
かなしくていっそう深くつながり続け。
英雄は失墜した。
後悔をしたことはないのです。
振り返ることはなかったから、駆ける脚ははやすぎて、追いかけてくる声も届かなかったから。
後悔をしらなかったのです。
因果はすべて自らにかえり、愛しいものをこの手で壊しても、受けるべき災禍はすべて我が身でうけて愛しい者に零しはしなかったから。
後悔せずにいられたのです。
愛するものが幸福であると思っていられたから。
我が身の愚かさを気付けないほどに、愛されたから。
けれどもう、私はこだまするこえをきいてしまった。
この記事にトラックバックする