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新盤日和見天体図

立派な貴腐人になりました。よろずにまったり展開中。

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野辺送り(我ら、王の死を知らず/蛇足)

 野辺送り


 白く細い煙が高く空に上がっていく。
 晴れた空に吸い込まれるそれはまるで何かに導かれているようであり、その迷いのなさに複雑な気分になる。
 嬉々として彼を連れて行く二人の幻想まで見えてきた気がして、ヴィラルは同じように空を見ていた掌の上の生き物に眼を落とした。
「…ブータ」
 しかし名前の持ち主である彼は既にそこには居なかった。
 つい先ほどまでヴィラルの手の中で暖かな鼓動を刻んでいたはずの小さな体は既に何の反応も返さないし、動きを生み出すこともなかった。
 身体はまだ温かいというのに、もうそれは抜け殻でしかないのだ。
「お前はまったく…」
 見事だというしかない。唐突なことなのに驚くことも出来ないくらいに。小さな生き物の、あまりの一途さにヴィラルは掌の中の重さに深い敬意を覚えた。
 荼毘の焔は盛りを過ぎたけれど、この小さな体を骨に返すくらいの力はまだ充分にあるだろう。
「…いいな?ブータ、シモン」
 応えなど返るはずもないのに尋ねてしまったのは一抹の淋しさと、隠し切れない羨望のせいだろう。しかし立ち上り続ける白い煙に促されるように、できるだけそっと焔の中に小さな重みを落としてやる。焔に近づきすぎたせいか、ちりちりと皮膚の表面が焼けて痛んだが頓着することはなかった。
 くべられた小さな体はすぐに焔に巻かれて見えなくなる。あがる煙も心なしか太くなったようだった。
 このまま、焔が途切れることなく一昼夜。小さなブタモグラの骨は形を残さないだろうが、同じ焔で燃やされたのだから、きっと彼の骨と同化しているだろう。
 その白い花のような骨を持ってここから去ろう。何も言うことはなかったが、彼が望む場所に届けてやるくらいの甲斐性はあるつもりだった。
 あの街の、彼らの隣に当然のように。
 だが急ぐ旅ではない。長年の相棒であるエンキドゥドゥに彼らを乗せて、ゆっくりと。
 幸いなことに時間だけは腐るほどあるのだから。時を止めた彼らに急かされることもないと摘み集めた白い花々をも燃え盛る火にくべながらヴィラルは誓った。
 
 そしていつか、彼らの隣で眠ろう。
 
                   野辺送り〈了〉

我ら、王の死を知らず・3

我ら、王の死を知らず・3

      03

 寝台の上で死ねるとは思っていなかった。
 清潔な白いシーツは昨日気のいい宿の亭主が交換してくれた。体格の良い獣人の彼は体に見合った大きなその手の指先にある鋭い鍵爪で、床から頭が上がらない病人を傷つけることのないよう、そっと扱ってくれた。それが幼いころ、寝込んだ自分の額を撫でた父親の掌に良く似ていて、シモンは薄らと笑った。
 長い間忘れていたことを今思い出す、その意味はなんだろうと考えて浮かんでいた笑みはどこか苦くなる。
 走馬灯、というものがあると教えてくれたのはリーロンだったか。人は死ぬその前に、今までの生を振り返るのだと何かの折に聞かせてくれた。そういえば、先ほどまで見ていた夢はとても懐かしいものだった気がする。あまりはっきりとは憶えていない。でもそこには懐かしい顔がたくさんあって、とても大切だけどもう会うことのない人達がたくさん居た。
 その中でひときわ明るい笑顔でカミナとニアが笑っていた。疵一つない、そう思ってシモンは深く安堵した。
 ふたりの笑顔には、シモンが負った傷と同じものは見えなかった。おいていかれるという、息がとまりそうなくらいの苦痛を伴う醜い疵を、愛したふたりに負わせることがなかったというそのことに身勝手な充足を得た。
 わかっては、いる。カミナもニアもシモンを置いて逝きたくなどはなかっただろうことも、先に逝く辛さ、さらにはそれをシモンに見せ付けるという苦痛も。
 けれども一方では、カミナもニアもシモンよりも先に逝くことに安堵し、充足していたのだろうからそれもお相子というものだろうと結論つける。どちらがまし、と問うことは無意味だろう。どちらも苦しく辛く救いようがない。
 しかし愛されていた自覚がシモンにはある。比べるべきモノではないと思っていても、シモンは自分を愛してくれた二人がこの痛みを知ることがなくてよかったとやはり強く思うのだ。
 だって愛する彼らは先に消えてしまったのだから遺されたものはそう思うしかないから。
「お前には哀しい想いをさせるなぁ、ブータ…」
「ぶぅぅ…」
 胸の上にあるごくわずかな重みに話しかける。そっと乾いた指先を伸ばせば、湿った暖かさが慰めるように指先を舐めた。
 いつも一緒にいた一番付き合いの長い友人は、シモンがほんの子供だったころから姿を変えない。それが成長エネルギーを進化に転じていたからだと知ったのはアンチスパイラルとの戦いの最中だったが、それ以降ブータがあの人型をとることはなかった。シモンの肩を指定席にして、いつもその暖かさをシモンに伝えていてくれた。
 ブータを遠ざけようと思ったことがないとは言わない。ブータは人型をとったことからもわかるようにその知能はただの豚モグラとは段違いなのだ。シモンら人間や獣人と何も変わらない。そのブータを哀しませることにシモンは尻込みをした。
 いつからか、シモンは自分の体を蝕むものに気がついてブータのことを考えて血の気が引いた。その時愛したものに自分と同じ苦しみを味あわせたくない、という思いが脅迫観念のように自分の中にあることを悟った。
 けれどシモンは結局ブータとずっと共にあった。かつては、濃い土色だった毛並みが、白っぽく色を変えていることに気がついたからだった。シモンが年老いたように、ブータも確実に時を重ねていたのだった。きっとブータも、もうそんなに生きられないとわかった。悲しみもきっとそんなに長くない。
「ごめんなぁー」
 妙に間延びした声になったのはふざけたわけではない。呼吸が大分苦しくて、ゆっくりとしか音を発することが出来なかっただけだ。気にするな、とブータが湿った鼻面でシモンの指先に触れる。ひどくそれが暖かく感じて、ブータもどこか体調が悪いのかと心配になった。が、しかしすぐにそれが自分の体が異常に冷えてきているからなのだと悟って、苦笑が浮かんだ。
 …終わりが、近いとわかった。
 こんな風に自分だけにゆっくりと死が訪れるとは思っていなかった。なんと穏やかなんだろう。心残りといえば、胸の上にいる小さな命に哀しみを遺すことだけだ。
 一つくらいなら、そんなに長くはないのなら(ブータにとっては、くらいや長短で、片付けられるものではないだろうが)哀しみを遺していくことをシモンは自分に赦してやれる。
 ぶうう、とブータはやはり自分のことは大丈夫だから、と鳴いてくれる。本当に、心残りはないなとシモンは笑った。
 胸の上で子守唄を歌うように鳴き続けているブータの声がだんだんと小さくなってきているようだ。
 音が遠くなっているのだとシモンは気がついた。
 このまま瞳を閉じれば、眠るように自分は息を引き取るのかもしれない。自分がもう持たないことはこの宿に入る前に主人に告げた。主人は少し驚いた顔をしたが、頷くと離れの一室(もう古くなって客を入れるには向かないらしい。シモンには充分に贅沢だったが)を気前良くシモンの終わりの場所として提供してくれた。持ち金はすべて渡してあったけれどそれを無駄に使い込むことをしない主人は人間の妻と共にシモンの面倒も良く見てくれた。
 若いころ中央に…カミナシティに居たんだという彼らはもしかしてシモンが誰だったのかを知っていたのかもしれない。
 だが、今はもうそれもどうでもいいことだ。ブータのことも頼んである。シモンの死を悼んでもブータはきっと残りの生を精一杯生きてくれるだろう。
 …後は、誰もシモンの死を知らなくていい。特に、いつ果てるともわからない生を背負うことになった彼は。
 彼だけには。
「…老いぼれたものだな、シモン」
「……そうだな…」
 最期の最後でお前に追いつかれるくらいには。
「…本当にどうしていつも最後にひっくり返されるんだろうな、俺の幸せってのは…」
「貴様の考えることは大体底が浅い。ロシウの爪の垢でも煎じて飲んでおくんだったな。もう少し頭のいいやり方もあっただろうに…ああ、ブータ待たせたな」
「…ブータか…くそ、灯台下暗しってのはこのことか」
「どちらかというと飼い犬に手を噛まれるだろう」
 ぶう、と聴きなれた声を苦々しく思いながらシモンは瞼を持ち上げた。そろそろ日も暮れようかという時間だったが、半分になってしまった視界にもヴィラルの金の髪はひどく眩しく映った。
 遅くなってすまないと、ブータの小さな頭を撫でてから振り返ったヴィラルの顔は、シモンの記憶にあったものと寸分のぶれもなく重なった。
 わかっていたことだけれど実際に眼にすると痛い。もう身体の感覚は殆どなくなっていたけれど、その姿は網膜に焼きつくような痛みをシモンに与える。
「わざわざこんな老いぼれの最期に会いにくることはないだろうが、暇なのか艦長様は」
「アレは赤毛の若造に譲ってきた。もう俺も艦長ではないぞ」
 お前がただの穴堀シモンなのと同じだと言ってヴィラルがシモンを覗き込むようにして、ようやくはっきりとその顔がシモンには見て取れた。髪が短くなっていることを覗けば、あの日最後に話したときのままの顔で彼はそこにいた。
 こうやって彼が変わらずに生きていくしかないと知っていたから、シモンに残されたものの中で一番暖かい場所に彼を置いてきたのだというのに。
「馬鹿だろう、お前は」
「そのまま返すぞ、その言葉」
 同じようにして去っていった奴が何を、と呆れたような声を出すこの獣人を許されるなら殴り飛ばしてやりたかったが、もうそんな気力も残されていないことがただ口惜しい。何よりもこの場に現れることで、最期のシモンの心の平安を奪ったヴィラルが腹立たしい。
 言葉にはしなかったが、隻眼が自分を睨みつける意味をヴィラルは知っていたのだろう。我侭を言う小さな子供にするように肩を竦めてから、あたり前のように言うのだ。
「俺のことを好きだと言ったろう?」
 花嫁に口づけたその唇で不誠実に。
「俺の返事も聞かなかっただろう、貴様は。これが返事だ、冥土に持っていけ、シモン」
 不意にヴィラルの輪郭がぶれたのは、限界が訪れ始めた視力のせいだけではなかった。意外なほどに端正な顔が、視覚が捉えられないほどに近くに寄ったその為なのだと気がついたのは、唇に暖かい感触が触れたからだった。
「人間の言葉で言えば、愛している、か。」
「…っこの、馬鹿野朗が…!」
 たったこれだけの悪態をつくのに、息を切らせるシモンを眉を潜めてみて、ヴィラルはその掌をシモンの額に乗せる。
「…もう眠れ。俺がここにいよう」
「いらん。出て行くんだヴィラル。独りにしてくれ」
「断る」
「ヴィラル!」
「…俺はあの時貴様の我侭を聞いてやっただろう。貴様の勝手を赦してやった。だから今度は貴様が俺の願いを聞き入れるべきだ」
 シモンの額に触れる掌がそのまま滑り、残った瞳を隠してシモンの視界を黒くした。恐怖が襲ったのは一瞬で、すぐに眼は暗闇に慣れてくる。そうすると暗くなった視界よりも暖かな掌のほうが意識される。
 望んで得たものでなくとも、病んだ身にその体温が心地よいことには変わりはなく、しかしシモンは溢れそうになる安堵を押し殺さねばならなかった。本当にもう時間がないから、一刻も早くこの掌を払いのけなくてはならないと、必死に思考をめぐらせるが結局もうシモンには何も出来ない。
 ただ後悔を胸にして息を止めることだけがシモンに残された選択肢だった。
「どうして、こうも思い通りにならない…全く最後くらい、赦してくれてもいいんじゃないか…」
 しかしそれも崩されて、シモンは唸った。初めてここでもう走ることの出来なくなった自分の体を恨んだ。これでは、数十年前のように、ヴィラルの前から去ることも出来ないだろう。
 けして短くない時を経て再会したヴィラルはあのころにはなかった落ち着きのようなものを感じさせて、充分に曲者になった自覚のあるシモンにも、もう騙されてはくれないだろう。
 なにより、そうする力がもうシモンにはなくて、諦めるしかないことが変えようのない現実だ。
「こんなにお前が莫迦だとは思わなかった」
 それでも、口惜しさに詰る言葉が口を吐くのを止められはしなかった。完璧だったシモンの計画はこの男のおかげで(というよりもブータの)崩れることになった。シモンの死を知ってカミナシティに残してきた愛すべき人たちはどれほど哀しむのだろう、と考えると実際にはもう瞼を開けていることすら辛いというのにおちおち目を閉じることも出来ない。第一、ヴィラルは、彼の言葉とシモン自身の言葉を真実とすれば、シモンの死によって最も苦しむ者なのだ。さらに言えば、彼には永遠ともなるだろう膨大な時が待っている。
 ロージェノムほどの強靭な男を倦怠に落とし込むほどの苦痛だ。少しでも痛みを和らげたかったのに。
「莫迦はお前だといっただろう、シモン。勝手に決めるな。これは俺が望んで得た時間だ。大体先に勝手をしたのはそっちなのだからとやかく言うな、往生際の悪い」
 呆れて言うのだが、シモンからは何の返事もない。子供のように拗ねているのか、それとももう言葉を出す気力もないのかわからなかったが、かまわずヴィラルは言葉を続けた。
 どちらにしろ、時間は殆ど遺されていない。
「…あの男も、ニア姫もお前の中に疵を残しただろう。見事なものだ、アンチスパラルを退けたお前に逃げを選ばせるくらいの痛みだからな。…間違いなどというなよ、お前は逃げたんだ」
「…ヴィラル」
 随分と苦しそうに咎める響きで名を呼ぶ声に、ヴィラルは残された時間の少なさを再度実感した。
「聴け。お前は俺のために離れたわけではないだろう、同じ疵を残す自分が恐ろしかっただけだな、自分がその罪を冒す者になりたくなかったんだろう」
 だがな、と続くヴィラルの声は穏やかだった。
 陽がもう殆ど姿を消して、東の空の辺りはもう黒が混じった群青色に染められていて、星が瞬き始めていた。
 きっとあの星が中天に昇るころには、シモンはもう居なくなるだろう。垣間見たその光に、もう少しだけ有余を願う。
 痛みを与えるためにここまできたわけではないので。
「人をあまり侮るな。…俺はお前の中に住むカミナや、お前を包んでいるニア姫のようにはなれない。…同じでは赦せない。そうだろう?」
 同意など返るはずもないだろうとは思っても、否定はしないことはわかっていた。認めはしないだろうが、同じような想いをシモンはカミナに抱いていたはずだから。
「だから俺はあのふたりには絶対に手に入れることの出来なかったものを奪いに来た。…いい気分だぞシモン。何しろあいつらふたりだけでなくほかの誰も手に入れることが出来ないものだからな」
 ブー!と、自分を忘れるな、とばかりの抗議の声が聞こえた。シモンの胸元でブータが毛を逆立ててヴィラルを睨んでいる。
 小さく笑ってブータの頭を撫でてやる。お前は別だろう、それにすぐにお前もこいつを追いかけていくくせに、と宥めれば不満げではあるが抗議の声はなくなった。いい子だ、ともう一度ブータを撫でてやってから視線を戻せば、驚愕の瞳でシモンがヴィラルを凝視していた。
 思わずヴィラルは笑った。
 どうやらシモンはヴィラルのことを好きだなんだと言いながら、その実ヴィラルがどれほどシモンに対して執着しているかわかっていなかったらしい。愚かなことだ。少しばかりではなく腹立たしいが、それを知っていればこんな下手をうたなかったろうに、と思えば赦してもやれる。
 下手をすれば、カミナとニア姫の執着もわかっていないだろうが、親切にそれを教える気もなかった。気がつかせなかったのは彼らの失策で、きっと後悔をしたことだろう。
 だからヴィラルは間違えてはならない。己の望んだ結末を手に入れて生きていく。
「螺旋王も最期を迎えられた。俺もいつかきっと死ぬときがくるだろう、だからもう休め。…俺はここに居る」
 言いながらシモンを見れば、驚愕に見開いた目を力なく閉じるところだった。絶望したような仕種に眉を潜めたが、シモンは一つ大きな溜息を吐くと唇を苦笑の形に歪めた。
 それが思いもよらぬほどおだやかな印象を与えて、今度はヴィラルが僅かに眼を瞠る結果となった。
「……莫迦だな」
 同じくらいに穏やかな声が、何度目かわからない言葉を吐き出した。
 同じようにヴィラルも返そうとしたがやめた。業腹ではあるが、莫迦なことをしている自覚はあった。ただ、カミナやニア姫、ロシウやシモンを取り巻く人間たち、そうした者達を見続けてこれが感情というものであるとわかっている。正しくもないし、綺麗でもない愚かなもの。
 しかし全てを動かすもの。螺旋の中心。
「…もう眠れ」
「……ああ」
 額にかかる幾分か白いものが混じった髪をかきあげてやる。現われた額に口づけを落す。するするとシモンの緊張が解けてくるのが唇から伝わる。
 同時に唇に移る熱をきっと最期まで忘れないだろう。
「…お休み……ヴィラル…」
「おやすみ」
 子供のようなあどけない声に応えると、陽が落ち切ったのだろう小さな部屋が一気に暗くなった。
 眠るには丁度いい。
 
「良い夢を」
 
 
  囁きは、まだ暖かい唇に。

我ら、王の死を知らず(了)

我ら、王の死を知らず・2

我ら、王の死を知らず 2

 
 
    02 
 
 アンチスパイラルのメッセンジャーとして覚醒してしまった女性の末路は、悲劇と呼ばれてもけしておかしくはないだろうし、いずれそう語られることになるだろうとヴィラルは思った。
 砂糖菓子のような衣装と共に消え去った、かつてヴィラルが姫と呼んだ彼女がどれほど幸福だったとしても否応もなく。
 幸福の絶頂と呼ばれるその式の最中で消えることを誰も由としないのは、彼女が遺した人間があるからだった。
それも最愛の。
「シモン」
 式場から立ち去ったシモンを追いかける者は居なかった。似合わないと散々小突き回された白いタキシードを着崩して、その上に鮮やかなマント。ヴィラルにも因縁を遺すそれをはためかせながら振り返った彼の顔は、今では滅多に浮かべることのない幼いときのような、気弱なものだったからヴィラルはそれ以上の言葉を投げかけることを途惑った。
 肩にかけたそのマントも相まって、空色の髪と紅い瞳の男が傍らに居るような錯覚を受ける。
「俺は行くけどお前は残れよ?」
「なんだそれは」
 ヴィラルの無言を良いことに、押し付けられた言葉に反発するのはあたり前のことだろう。
「厄介ごとはすべて押し付けていくつもりか」
 そういえばコアドリルも赤毛の若造に渡していた。ラガンを置いて行くのだから、ヴィラルが同行する理由も確かにない。
 シモンがこの場所から去ることはきっと悪いことではないはずだとわかっていてもヴィラルはそう告げることにした。彼の選択は悪くはないだけでけして最上ではないからだ。そう考えると、ヴィラルの言葉も間違いではない。そしてシモンはヴィラルの言葉を否定しなかった。かわりに、やはり子供みたいな無邪気な顔で笑うだけだ。
「信じなくてもいいけどヴィラル、俺はお前がちゃんと好きだよ」
「馬鹿げたことをいうな」
 たった今他の人間に(それもヴィラルの主筋の姫に)永遠を誓った身で何を言うかと一刀両断にするのもやはり当然だ。
「これだから裸ザルは節操がないと言うんだ。ああ、それ位の多情でなければこれほど短期間で地上に人を満たすことは出来なかったか」
「っはは!痛いところをつくなぁ、ヴィラルは。それはお前から見れば確かに人間は節操なしかもしれないけど」
 真面目に取るのは馬鹿らしいと、かなりのきわどいラインでの皮肉を返すのだが、返された当人であるシモンは髪を揺らして笑うだけで一向に堪えた様子はなかった。終いには目尻に涙さえ滲ませている。
(…お前がそんなことを言って誤魔化すことほど滑稽なことがあるだろうか)
 多情、とヴィラルはシモンの属する種族を揶揄したが、そこにこの男が当てはまるかと言われれば、否と答える。
 ふわりとフラワーシャワーの名残の花びらが、風に運ばれてシモンの肩に乗った。体から、流れ出したばかりのような濁り一つない紅い色。あのカミナの瞳と同じ色だと恐ろしいくらいに素直に思う。
 風の悪戯にすぎないそれを、あの男の作為と思わずにはおられないほど、その陰を大事に抱えている男が何を言うのだろうか。花びらのような姫君にこの男が永遠を誓ったのは、姫君…ニアがカミナの存在を凌駕したのではなく、ニアがカミナごとシモンを抱え込んだからこそなのだと、周囲の何人が気がついているのだろう。全員が知っているのかもしれないしそうでないのかもしれない。だた、純然たる事実として、ヴィラルはそれを知っていた。
 そのくせ、シモンはヴィラルのことを好きだなどと言う。事実を事実として認識しているヴィラルにとっては、それは嘘にしかならない言葉だ。不誠実としか取れない。
「そんな恐い顔しないでくれよ、嘘じゃないんだ」
「ふざけるのも大概にしろ」
 ヴィラルの視線を受け止めて困ったようにシモンは笑う。
 その顔すら癇に障るのだと眉を潜めるヴィラルにさらに苦笑を重ねながらシモンはその手を伸ばした。何時もは乱雑に流されているだけのヴィラルの金髪は、今日の正装に合わせて丹念に梳られたのだろう、少しだけひんやりとしてするすると指先から逃げていく様が心地よい。ニアの空気を含んでほんのりと暖かかった髪の感触とも違うし、カミナのしなやかで存在感のある感触とも異なった。違うけれど愛しいと思うのは本当だ。
 愛しさの違いを攻めるヴィラルのその正しさと愚かさを可愛らしいとシモンは思う。そして哀れだった。
 目を瞑ることが出来ないのだ、彼の中の正義ゆえにシモンに怒る。ニアのように包むことが出来なくて、けれどそれこそがヴィラルという個体なのだから責めようとも曲げようともシモンはしなかった。
 だって彼の胸の中の、一番柔らかな場所に住んでいるのは、やっぱりたった一人だったから。
 だからヴィラルの言葉はあまりに正しくてだからシモンはもうヴィラルのそばには居られない。彼の正しさではもうシモンは彼を傷つけることしか出来ないだろう、そう思えるくらいにヴィラルに想われていることをシモンは自覚している。
 応えられないわけではないけれど、ヴィラルがそれを良しとしないことも知っていて、ならばやはり彼から離れるしかない。
 それがシモンが彼に贈れるたった一つ。
「ふざけていないよ、俺はお前がとても好きだよ?だからアレを任せられるんだし」
 あの大戦艦。任せられるのはお前しかいないんだ。生半可な奴に渡せないしね。
「好きだよ、」
「馬鹿を」
 言うな、と続けようとしてかなわなかった。あの日に見た宇宙と同じ色の瞳が輪郭もぼやけそうなぐらいに近くにあったから。
 消えていく寸前、あの姫はこの瞳だけを見つめていけたのだろうと思えば、それはとても幸福だったろうと思った一瞬、経験のしたことのない柔らかな体温がヴィラルの唇を滑って、すぐに離れた。
「表情、かわんないなぁ…お前は」
 もう少し驚いてくれたって、と勝手なことを言う男の前で実際ヴィラルは放心状態に近かった。何故自分がこんな仕打ちをこの男に受けるのかがわからなかったし、もっとわからなかったのは最愛の姫に触れたその唇でまたヴィラルに触れるシモンの不誠実さだった。
 ゆるせない、と直裁に思った。鋭い爪を持つ手を振り上げるがそれが届かない場所に、既にシモンは飛び退った後だった。
「この、恥知らずがっ!」
 怒りに任せて叫んだ声には、底抜けに明るい笑い声が返ってきてそれがまたヴィラルには腹立たしいというのに、不意にその声が止まったかと思うと一度も聴いたことがないくらいに静かな声が届くのだ。
「さようならヴィラル、きっとこれが最後だ」
 不意打ちに言葉を投げつけて、あとはふりかえりもしない。そうやって遠ざかる残酷なくらいに潔い背中を、やはり許すことは出来ないだろう。
「御託ばかり並べて、…要はお前が」
臆病なだけじゃないか、穴掘りシモン。
…許しはしないが、その弱さに免じて今は見逃してやろう。
誓うような言葉を飲み込むと、ヴィラルも踵を返した。不本意ではあるが居場所と定められた場所に戻るために。
 
 逃がしてやろう、痛みから。
 そう願ったのがどちらだったかは、もうわからないけれど。
 
 
 

我ら、王の死を知らず・1(グ/レ/ン/ラガン・シモンとヴィラル)

 我ら、王の死を知らず
01
 
 
『艦長』
 
そう呼ばれるたびに、湧き上がる僅かな違和感はいつになっても消えることがない。
この場所に立ち、巨大な宇宙戦艦を指揮するようになって人の時間でもう二十年ほどの月日が流れた。いかに時の流れから投げ出された身だとは言ってもそれでもその時間はけして短くはない。
ただ、周囲の誰に聞いてもこの二十年は瞬く間に過ぎてしまったと言う事は予想がついた。
非常に矛盾しているが、それが真実だ。
二十年前のある日、ひとりの人間に導かれた自分達はアンチスパイラルを打ち破った。それをきっかけに、今までその存在すら未確認だった宇宙空間に拡散していた人類、同じようにアンチスパイラルの監視下に置かれていた者達との交信が始まったのだ。
アンチスパイラルの消滅を異口同音に寿いだ彼らは、しかし各々の利害を主張し協調の道を望みながら実現することがかなわなかった。その軋轢はとても言い現せることはできない。
しかしこちらにはアンチスパイラルを斃した、という覆しようのない事実がありそれは類を見ない強みとなった。
そうして今日のこの日がある。
ただ、この宇宙における人類を導くその座に就いたのはかの英雄ではなかった。彼自身もある意味では英雄の一人に間違いはなかったが、それでもそれは長い時間をかけて遠い先の未来に評価される歴史的事実としての英雄である。
歴史を学ぶ教科書には彼の名前や生年月日、そうしていつか没年が書き込まれるのだろう。建国の歴史と共に長い黒髪の彼の名はそうして残っていく。
だとすれば、あの男は神話の英雄になるのだろう。今でこそ、人々の記憶に残るあの男の話は、酒でも入れば日常の些細な癖から、あの想像を絶する決戦まで尽きることはない。
だが、やがていつか物語として語られるようになるだろう。彼の記憶を持つ者は残らずいつかこの地を去る。彼の真実はいつしか忘却され、神話になるだろう。
そうしていつか自分はそれを聴くのだ、必ず。
『艦長?』
 モニターに映る部下の顔が怪訝そうに自分を見ている。呼びかけから答までに間を置いたことは殆どなかったから、僅かな沈黙すら不安をかきたてたのだろうか。仕方がないな、と部下の小心さに溜息をつくほどには、ヴィラルも人間に慣れた。
 過去には考えられなかったことだが、けして悪くはない。
「問題ない!そちらの状態はどうだ!」
 噛み付くように言葉を投げるのは何時ものことで、途端にすこし引きつった顔をする部下の目尻に刻まれた皺を見て、ああこいつも歳をとったのだと唐突に思った。
 変わらないのはヴィラルだけだ。別離も、もう数え切れないほど経験していて今更どうこう言うつもりはなかった。
 覚悟していたことであるし、続いていく血の中に、彼らの面影を見つけることが出来る。記憶が共有できなくとも神話の中に呼び覚ますことが出来る。
 そうしてきっと彼の名前を呼ぶものが絶えることは無いし、何よりも普遍の命を与えられていようと必ず終わる時が来ることをヴィラルは知っている。
それが何千年の時の向こうであっても、ヴィラルらをこの世界に生み出した螺旋王ロージェノムがその命を終えたように、いつか。
 獣人の王が普遍の命と共に、ヴィラルに与えたものの片方がそれだ。
 終わりを見続けることは、だから苦痛ではない。それを、いつか。
「教えてやらなければな」
 視線を前方に戻せば無数の星を抱いた限りなく漆黒に近い藍い闇。見当違いな優しさでヴィラルの前から消えた、この闇と同じ色の髪をした彼に。
「…待っていろよ」
 今はまだその時ではないから。
心の中でそれだけを呟いてヴィラルは部下に指示を与えるために胸に大きく息を吸い込んだ。
 
 荘厳な宇宙戦艦が放つ光を、地上から片方だけになってしまった瞳の男が見上げていた。
 

リフレイン(F/a/t/e・槍弓)

F/a/t/e 槍弓話。槍がなんだかよわ-な感じです。


リフレイン

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